新・九州探訪 第8回 福岡県「大野城跡・大宰府政庁跡」

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よか特集

新・九州探訪 よかとこ魅力、再発見

第8回
九州城郭探訪編
福岡県「大野城跡・大宰府政庁跡」

礎石跡が復元されている大宰府政庁跡。かつて九州における外交、貿易、軍事の拠点として栄えた古代都市です。右はその復元模型。政庁跡の後ろにそびえているのが大野城跡のある四王寺山(しおうじやま)です。 九州歴史資料館提供

久留米市ぶらりMAP 大宰府政庁跡とそれを守る大野城跡

菊池市紹介

福岡県の北部に位置する太宰府市。古都太宰府と言われるように各所に古代から近世の史跡があります。
主だったところで大宰府政庁跡、水城跡、大野城跡、太宰府天満宮と豊富です。
今回は、新・九州探訪の新しいシリーズとして城郭探訪に訪れてみました。日本100名城の86番とされている大野城跡。かつて九州の中心だった大宰府政庁跡。そしてその大宰府で活躍した少弐氏(しょうにし)の興亡を追います。

大野城跡・大宰府政庁跡

大野城は、665年、外敵を防ぐ目的で朝鮮半島の貴族の指揮で築かれた山城です。

築城までの経緯ですが、660年に朝鮮半島で唐(中国)と新羅(しらぎ)に攻められて、日本の同盟国であった百済(くだら)が滅びます。国を建てなおすために百済は日本へ救援を依頼しますが、白村江(はくすきのえ/はくそんこう)の戦いという海戦で日本は唐と新羅に負けてしまいます。

こうなると、次は日本へ攻めてくる可能性が危ぶまれ、日本は急ぎ防御の為に外交と貿易の都市だった大宰府を中心に「水城(みずき)」「大野城」「基肄城(きいじょう)」を作り、守りを固めました。

そのうちの1つ、大野城が今回の探訪地。日本100名城の1つに数えられています。
大宰府政庁跡を正面に望むと、後ろに四王寺山がそびえているのですが、ここに築かれた城です。

現在では、建物遺構群や石垣、土塁と、数々の遺構を見ることが出来るのですが、今回は「百間石垣(ひゃっけんいしがき)」という比較的大規模に確認できる石垣をめぐってみました。

まずは「県民の森センター」という公園へ行き、展示されている大野城のミニチュア模型で全体の配置を把握。事務所の方へ百間石垣の場所を確認して行ってみると、足元が悪いのなんの。
ただ、苦労の甲斐あってなかなか立派な石垣を見ることが出来ました。出土時はコケや草が取り払われて、さらに見栄えが良かったようです。

2010年に完成したという久留米駅の駅舎はまだ新しい建造物の雰囲気が漂います。 水天宮の参道は花火大会で出店が並び賑わいます。 敷地内には尊王攘夷の志士「真木和泉守」の銅像が立っています。 真木和泉守が謹慎の間、教育を行ったと言われる山梔窩(くちなしのや)を再現しています。

次に訪れたのは、大宰府政庁跡。
かつて、九州を統治する役所であり、貿易と外交、軍事の中心だった地です。

941年に瀬戸内海で起こった「藤原純友の乱」で、一度焼け落ちますが、その後も復興され、中心地が徐々に北方の博多に移る11世紀中頃まで、栄えていたようです。

現在では、礎石跡が見られ、足を運ぶとかなり広い敷地であったことも実感でき、往時の繁栄を偲ぶことが出来ます。

また、付近には学問の神様である菅原道真が祀られた、全国的にも有名な太宰府天満宮があり、常時参拝客で賑わっていて、この日も大変な人出でした。

豊かな四王寺山の緑の中に、壮大な石垣群がひっそりと溶け込んでいます。 発掘当時は、このように、よりわかりやすく石垣が見られたそうです。(九州歴史資料館提供)
大規模な礎石の並びが、往時の大宰府政庁跡の規模と栄華を伝えています。後ろに見えるのは大野城が築かれていた四王寺山です。 本殿があったであろう位置には石碑が立ち並びます。手前は柱を設置するための礎石(現物)です。礎石には復元物と実物があるそうです。
政庁跡からほどなく近い場所にある太宰府天満宮。奥の本殿前、左に「皇后の梅」、右に「飛梅」があり、春には花をつけます。左下は、小粒餡を餅生地にくるんで梅の刻印が入った鉄板で焼く、名物「梅枝餅(うめがえもち)」です。

少弐氏の衰亡と龍造寺氏の台頭〜田手畷の戦い〜

新・九州探訪の1シリーズとして、九州城郭探訪をお届けします。
九州で日本100名城に選ばれている城を中心に、戦国九州三強(島津、大友、龍造寺)の歴史を時系列に沿って紹介させていただき、シリーズを読み進めると九州の戦国史への理解を深めていただけるよう特集しますのでお楽しみください。

筑前(福岡)の太宰府は、古来より九州における政治、軍事、貿易の中心地であり、そこを治める大宰大弐、大宰少弐などの官職がありました。

源平争乱期、原田氏が大宰権少弐に任じられ平家方として活躍しますが、平家が滅亡すると原田氏は鎌倉に幽閉となり、紆余曲折の末、最終的には鎌倉より源頼朝に仕える武藤氏が派遣されます。

太宰府の森の中にひっそりたたずむ少弐資頼(すけより)・資能(すけよし)の墓です。墓の他に顕彰碑や説明書きがあります。
向かって左が資頼、中央が資能の墓です。九州に下った武藤氏が少弐氏となって活躍を始める起源となりました。 説明書は、大陸からモンゴル帝国が攻めてきた時の功績を伝えるものや、二人の生涯を伝えるものがあります。

この武藤氏が大宰少弐に任官され、その後も世襲したことから家名自体が「少弐」となります。 その後、筑前・豊前(福岡)、肥前(佐賀・長崎)、壱岐、対馬を治める最大版図を築き、大陸からモンゴル帝国が攻めてきた元寇では、大宰府の責任者として日本軍の指揮を執るなど活躍します。

しかし、その後、戦国期まで北部九州の覇権をめぐっての度重なる抗争の末に中国地方の大内氏によって大宰府を奪われ、拠点を肥前(佐賀)に移して、大宰府奪還を目指しますが、劣勢は揺らがず、本拠地である勢福寺城(せいふくじじょう)を攻められることとなった1530年の「田手畷の戦い(たでなわてのたたかい)」では、大内氏の攻撃の前に少弐氏は滅亡の危機に陥ります。

筑後川の支流「田手川」一帯の畷(なわて:あぜ道)で行われたこの戦いで、少弐方の将・龍造寺氏(りゅうぞうじし)も覚悟を決めますが、その時、鬼面をかぶった異形の集団が大内勢の横合いから奇襲をしかけ、大内軍は横岳資貞や筑紫尚門を討ち取られるなど陣を乱して敗走します。

異形の集団の正体は龍造寺氏の家臣であった鍋島氏と石井氏。龍造寺氏はその知勇を認めて親交を深めます。これで少弐氏の中で発言権を強めた龍造寺氏でしたが、逆に危険視されて同じ少弐氏の将だった馬場氏によると言われる計略で多くの一族を討たれ粛清されます。

90歳の高齢から生き延びることができた龍造寺氏での事実上の実力者・家兼(いえかね)は、柳川(福岡県柳川市)の蒲池氏(かまちし)を頼って再起の挙兵。少弐氏を破って龍造寺氏を再興します。

この時、龍造寺本家(村中龍造寺氏)とは別に、家兼の分家(水ケ江龍造寺氏)では、寺に預けていた男子を還俗させ事後を託します。この男子が後に九州三強にまでのし上がる龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)でした。
※還俗(げんぞく)とは、一度出家して僧になったものが俗世に戻ること。

家兼は、「長法師丸(隆信)は大器である」と、幼少の頃より隆信の器を見抜いていたと言われます。

少弐氏は、その後、この龍造寺氏の下剋上によって滅ぼされ、肥前は龍造寺氏が治めるところとなっていきます。

少弐氏最後の拠点となった佐賀県神埼市の勢福寺城跡。説明書きの後ろに見えるのが、勢福寺城のあった城山という山です。 城跡の麓にある種福寺(しゅふくじ)は、少弐氏の後に勢福寺城を治めた江上氏の菩提寺です。江上氏の資料がある他、この裏手に登山道入り口があります。

本丸跡に向かう途中の展望岩からは、筑紫平野が一望でき、勢福寺城の軍事拠点としての重要性を実感できます。 山頂近くにある井戸の跡です。自然湧水ではなく、雨水を貯める穴だったようです。 標識が無いのですが山頂と思しき三角点です。他に高所も無く、おそらく山頂と思われます。

田手畷の戦い想像図

関連する人物や伝承のコラム

八千代姫の伝承

少弐氏の家臣の娘「八千代姫」は、大変器量が良く人気がありましたが、許嫁がいたので、全ての誘いを断っていました。ただ、どうしても手に入れたいと考えた男が、その許嫁を謀殺してしまいます。
龍造寺軍が勢福寺城へと攻めてきた時に、その許嫁を援軍の使いに任命するのですが、その道中で待ち伏せて亡き者にしてしまうのです。
八千代姫は、犯人もわからない中、勢福寺城の麓にある仁比山神社(にいやまじんじゃ)へ百度参りし、下手人がどの者かお告げを受けて見事、仇討を果たしたと伝わります。この八千代姫が仇討の後に髪を落として建てたお寺が、今では真正寺という、少弐氏最後の当主と言われる冬尚の墓があるお寺です。

佐賀の伝統芸能「面浮立(めんぶりゅう)」

田手畷の戦いで活躍した鬼面の集団「赤熊軍団」。
佐賀には鬼の面を被って踊る「面浮立」という重要無形民族文化財がありますが、その由来が田手畷の戦いの時の装いとも言われています。

また、別説としては、この後に大友氏が肥前(佐賀)に攻めてきた時に奇襲で勝利を収めた時の装束であるとか、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)で船の中で舞ったとする説もあり、「面浮立」に微妙な種類の違いがあるのも、由来・起源の違いによるものとも言われています。

田手畷の戦いが起源と言う説もある音成面浮立(おとなし めんぶりゅう)提供:佐賀県鹿島市

アクセス

福岡県太宰府市へのアクセス

JRを利用

  • ・博多駅から都府楼駅まで、市営地下鉄と西鉄で約30分(天神で西鉄電車へ乗換)
  • ・博多駅から太宰府駅まで、市営地下鉄と西鉄で約40分(天神で西鉄電車へ乗換)

空港を利用

  • ・東京から福岡空港まで110分
  • ・大阪から福岡空港まで70分
  • 大宰府政庁跡:福岡空港から都府楼駅まで、市営地下鉄と西鉄で約50分(天神で西鉄電車へ乗換)
  • 太宰府天満宮:福岡空港から太宰府駅まで、市営地下鉄と西鉄で約60分(天神で西鉄電車へ乗換)

佐賀県神埼市へのアクセス

JRを利用

  • ・佐賀駅から神埼駅まで、JR長崎本線で約10分

空港を利用

  • ・東京から佐賀空港まで120分
  • ・佐賀空港から神埼駅まで、バスとJRで約60分(佐賀駅バスセンターでJR長崎本線へ乗換)
  • 勢福寺城跡へ登山する際のお勧め備品
    タオル/水筒/杖など棒状のもの/虫よけ/着替え
    ※蜘蛛の巣が多いので、棒状のもので除きながらの登山をお勧めします。イノシシにも遭遇しました。また、標高の割に急峻なので着替えをお勧めします。

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